こんばんは。
18時現在の開封市 気温26℃ 湿度100%です。
昼から降っている雨で 近所の交差点が また冠水中です💦
早くやんでくれ~。
さてさて、
敦煌の世界遺産、莫高窟見学の後編を書いていきたいと思います。
前編はこちらをどうぞ
↓
☆石窟内は写真撮影が禁止なので石窟内の写真はありません。
ご了承ください。
莫高窟に関して
莫高窟で最初に洞窟が掘られたのが、
3世紀ごろ(日本の古墳時代ごろ)だそうで、
西の方からやってきたお坊さんが、
座禅を組み瞑想するために 砂山の淵に穴を掘ったのが最初だとか。
それから1000年間にわたって
(古墳時代→奈良時代→平安時代→鎌倉時代→室町時代のころ)
修行のためや シルクロード旅の安全祈願のためなどで、
次々と700個以上もの洞窟が 彫られていったそうです。
14世紀ごろに色々あってシルクロードの貿易が途絶えると
敦煌は急速に忘れられた存在になり、莫高窟も砂で埋もれていったようです。
莫高窟が永い眠りから起こされて、再び脚光を浴びるようになったのは、
今から約120年前からだそうで、
結構最近だったことに ちょっと驚きました。
現在は1窟~492窟まで 492個の洞窟に番号が振られ、
厳重に管理がされているようです。
他に243個の洞窟が確認されているようですが、番号無しだそうです。
たぶん、文化財的に価値が無いとされた洞窟なのでしょう(*^◇^*)
見学した石窟の覚書
石窟内は写真・動画撮影禁止でした。
以前は入り口で荷物検査があったようで
莫高窟の敷地エリアすべてで カメラが持ち込みも禁止の時期があったようですが、
今は 石窟の前まではカメラ撮影が出来ました。
石窟の中に入る時だけ、カメラもスマホも手に持たない様にしました♪
写真撮影出来ないかわりに 石窟内でのことを忘れない様に、
メモをとっていました。
ブログに覚書として書き残しておこうと思います。
暗い洞窟内で書いたので、もともと汚い字が
もっと汚い状態で解読に苦労しました( ;∀;)
ガイドさんが案内してくれたのは、
『29窟』→『23窟・24窟』→『16窟・17窟』
→『45窟』(特別窟)→『46窟』→『61窟・62窟・63窟』
→『257窟』→『96窟』
の8カ所、合計12窟でした。
29窟では壁画の土台作りの話を聞きました。
草や動物の毛を粘土に混ぜて作るようです。
参考までに、こちらの壁画の写真をのせとこうかと思います。
この壁画は、敦煌夜市の露店で購入したものです。
自分で画いた壁画を並べて売っている人がいました。
この図柄が気に入ったので購入し 敦煌土産として 家に飾っています🥰
土台部分に草や毛のようなものが見えます。
石窟内の壁画も こんな土台の上に画かれているようです。
私は敦煌に来るまで、莫高窟のことをよくわかっていなくて
当時の権力者が 力の誇示のために 作らせたものなのかなと漠然と思っていて、
制作者が同じなので、同じような雰囲気の洞窟がならんでいるのだろうと
想像していました。
敦煌の石窟を巡るうちに、
個人や小グループが、それぞれ自分の好みにあわせて
祈願のため、瞑想のため、、日本の感覚で鳥居や灯籠を奉納するような感じで、
砂山の淵の崖に 部屋(洞窟)を作っていったのだろうことが
わかってきました🍀
結果 各洞窟が 個別の特色を持った芸術作品の様になり、
仏教芸術の美術館と呼ばれるようになり、
当時の人の生活を知る貴重な資料館にもなったのだと思います。
「壁紙には○○の絵が欲しいな」
「真ん中には〇〇を設置しようかなあ」など
当時の人達も 色々考えながら 洞窟制作をしていったのかなあ(*^^*)
飛天と呼ばれるモチーフは、
年代が古い物だとインドのお坊さん(男性)が空を飛んでいたのが、
唐の時代だと 綺麗な女性が空を飛ぶ 天女になっていたりして、
時代ごとに 流行っていた図柄なども違うようでした。
唐の時代に作られた洞窟の中に、宋の時代の人が追加で絵を描き足したり、
修繕しながら使ったりすることもあったようで、
時代によって変化していった洞窟も多かったようです。
個人的に、「北宋時代に作られた・・・」とガイドさんが話すと
ちょっと テンションが上がりました。
北宋時代は河南省開封市が中国の首都だった時代です(≧▽≦)
開封市とシルクロードのかかわりについても よくわかりました。
257窟の中には 壁に煙でいぶされた場所がありました。
ガイドさんによると生活の跡だそうです。
敦煌が忘れ去られ、莫高窟が廃墟の様になった時代、
洞窟の中で、普通に生活の場として
煮炊きなどしていた時期があったようです。
今でこそ 世界遺産ですが、
普通に生活している人達にとっては、
貴重な壁画が ただの壁の模様だったことがあるのですね~(*´▽`*)
洞窟内は あっちもこっちも 色々な情報であふれていましたが、
300年前の牛の皮で作られた太鼓があったり、
貴重な書類で埋め尽くされていた部屋が 今は空っぽだったり、
壁に画かれた鹿の話や虎の話、星座が描かれた壁、
獅子のしっぽの部分だけが残っている石像、
手前の通路には男性の絵、奥は女性の絵とわかれていることなど、
莫高窟専門日本語のガイドさんが効率よく
見どころを案内してくれました。
石窟内の様子を知りたい方は敦煌研究院のHPをどうそ
↓
29窟
23・24窟
16・17窟
45窟
46窟
61窟・62窟・63窟
257窟
96窟
特別窟45窟と普通窟46窟は制作予算が違う?
莫高窟見学を通して印象に残っているのが、
お金を持っている人達が作った洞窟と
そうじゃない人が作った洞窟の違いです。
お金持ちの人は、ラピスラズリなどの高級な顔料を使い
一流の職人さんに壁画を描いてもらい、
仏像も 素晴らしい出来の物を洞窟に設置しました。
お金のない人も、何人かでお金を出し合い、
少ない予算の中でも 過酷なシルクロード旅に出る前に洞窟を作り
安全祈願をしたのだと思います。
特別窟の45窟を見学した後に、すぐ隣にあった46窟を見学したのですが、
なんと、45窟と46窟の仏像達の配置、構図がそっくりで、
同じモチーフで作られたことが一目でわかりました。
ですが、仏像の精巧さやバランス、色鮮やかさに 大きな差があり、
45窟はお金持ちさんが作ったんやなあ~、
46窟はお金が無かったんやなあ~というのが
一目でわかりました(*^◇^*)
45窟も46窟も 同じ唐の時代に作られたようです。
私のメモ書きには、
16窟 お金持ち制作、壁の千仏の絵には金の縁取り有、
金は壁から盛り上がって見える。
257窟も お金持ち制作、ラピスラズリの青がいっぱいだ♪
など 書かれてあり、
お金をかけて作ったのか 低予算で作ったのか
洞窟を分類してました💦
(たぶん、ガイドさんの説明にあった)
後で見返すと なんだかしょっぱいです~(*´▽`*)(笑)
外壁に描かれた絵
壁画は 洞窟内だけでなく、
外から見える物も ありました。
雨風の影響で
消えかけているものも
ありましたが、
綺麗に見える場所も
ありました。
もしかしたら こちらの場所は もともとは洞窟内だったかもしれません。
手前の洞窟が崩れて 外から見えるようになったのかもしれません。
こちらは16窟・17窟の入り口前から見上げたところですが、
カメラのズーム機能で見てみると、
仁王さんの
音楽隊?
見学終了
11:43
96窟の近くまでやってきました。
わいわい わいわい
96窟は 低価格帯の緊急観賞チケットでも見れる洞窟の一つで、
大勢の人が押し寄せていました。
わいわい わいわい わいわい
中にいたのは大仏さんだったのですが、
立ち止まることは出来ず くるっと見ただけで出口へ。
上野動物園のパンダ見学を思い出しました(*^^*)
11:54
これにて 莫高窟見学終了のようです。
莫高窟専門日本語案内ガイドさんとはここでお別れ。
莫高窟内には 研修中のガイドさんも多くいるようで、
何も無い外壁にむかって 案内の練習をしている若いガイドさんの姿を
何度か見かけました。
莫高窟は こういった人達によって 今後も守られていくと思われます。
ツアーガイドさんと合流すると、こちらの石碑に案内してくれました。
平山郁夫さんについて書かれた日中友好の石碑でした。
莫高窟の真ん前に こんな石碑が建てられていたのですね。
12:13
またバスに乗って
12:32
敦煌数字展示センターに戻って来ました。
夫が前々から行きたがっていました莫高窟ですが、
仏様に興味があまりない私は(ごめんなさい😅)、
あまり期待せずに行きました。
でも高松塚古墳の壁画みたいなのが ゴロゴロあり、
石窟によって それぞれ雰囲気が違うこと、
砂山の端の崖に作られたスケール感、
1000年以上前の壁画が色鮮やかに今も残っている不思議など、
想像以上に楽しめる場所でした。
世界遺産に登録されるにふさわしい遺跡であることがわかりました。
行って良かったです😄🍀
◎最後まで読んでいただきありがとうございました(#^^#)