こんにちは。
14時現在の開封市、気温-2℃ 湿度31%です。
綺麗な青空で良い天気です。
空気も良いようです。
さてさて、
今日は0泊3日北京旅の続きを書いていきたいと思います。
故宮博物院の九龍壁前までの様子はこちらをどうぞ
↓
見どころがいっぱいでなかなか前に進めない
第二目的地だった九竜壁を10分ほど眺めた後、
12時過ぎに 第三目的地に向かって移動を開始しました。
今回、故宮博物院の見学ルートは
私が故宮についてネット検索した際に 興味が出た場所をとりあえず目指して、
通り道の建物で気になったら その都度立ち止まって見学するスタイルで
進んでいきました。
が、九龍壁から後のエリアはかなりの危険地帯でした。
今まで歩いて来た故宮博物院のエリアは広い場所に建物が点在する感じだったので、
目にとまる場所も比較的少なかったのですが、
この辺りは狭い区間に 色々な建物が建っているようで、
気になる場所が目にとまりやすく
あっちも
こっちも
そっちも?
おおお~と思いながら
立ち止まっていると
全然前に
進んでいきませんよ(*^◇^*)
珠宝館
ぎゅーぎゅーぎゅー
実際に宮殿内で使われていた装飾品が多数展示されていました。
一点一点ゆっくり見ていたら日が暮れるかもしれません。
こちらの大きな石は、
苦労して遠方から北京まで運んできたようです。
どこから運んできたかは音声ガイドの説明を聞きのがしてしまいましたが、
苦労して運んでくる様子が石に掘られているようでした。
暢音閣
3階建ての劇場で、今見えているのがすべて舞台のようです。
見学は周囲の建物から見るシステムのようで、
西太后さんもここで劇を楽しんだようです。
夫「1階で踊っている人が見える位置では、2階、3階で踊る人は見えないやろうし、
2階、3階が見える場所だと 1階で踊る人は見えないやろうし、
どの場所に座っても 舞台全体を見ることは出来ないよなあ。
どうやって劇を楽しんだのかな」
(音声ガイドの説明にツッコミを入れながら見学する夫(笑))
男子トイレ(青矢印)は空いていますが
女子トイレ(赤矢印)は行列ができていました。
ちなみに このあたりのエリアは このように手すりなどが無い段差が多いので、
周囲の装飾に気を取られ過ぎて
ぼーっと歩くと 非常に危険です(^◇^)
やっぱり全部木造建築やったのか?
故宮博物院の中の建物は木造建築だと聞いていました。
『太和殿』は 中国で現存している木造建築の中では、
最大の建物だそうです。
しかし、通って来た『太和殿』も その他の建物も、
柱や壁がコンクリートで作られたように見えて、
木造建築だとは思えませんでした。
これってコンクリートですよね??
木造で作られていることに かなり疑いを持ち始めていました😓
でも、この門を見た時に やっぱり故宮博物院の建物は
全部木造建築やったのかも と思いなおしました。
門は 木にコンクリートの様なものを塗って、
その上に塗料を塗って造られているようでした。
日本の寺院などの木造建築と全然違った木造建築物やったのですね。
疑ってごめんなさい🍀
気分はお宅訪問
鍵が閉まっていて中に入れないエリアもありました。
隙間からのぞいてみます。
行き止まり?
この建物ですが、
この格子の隙間から撮影しました。
(中には入れないようでした。)
日時計はあちこちで見かけました。
建物と建物の間を人々がウロウロ。
100年前は
一般市民が
こんな場所をウロウロするとは
考えられなかったかもしれません。
究極のお宅訪問かもしれません(*^^*)
13時14分
珍宝館エリアを脱出。
休憩用のベンチがたくさん設置されていました。
13時18分
映画『ラストエンペラー』に出てきた赤い壁はこのあたりのようです。
(映画を見たことが無かったのですが、故宮に行って 映画を見たくなりました。)
場所はこのあたりです。
記念撮影をする人も多く見かけました。
第三目的地『延禧宫』の霊沼軒(通称水晶宮)
13時23分
第三目的地付近にやって来ました。
この門をくぐったところが
目的地です。
13時25分『延禧宫』到着。
『延禧宫』は明の時代に建てられた宮殿で、最初の名前は長寿宮。
その後も名前が変わって、今は『延禧宫』と呼ばれているようです。
代々皇帝のお妃の住居として利用されていたようですが、
1845年の火事で建物の大部分が消失。
跡地に3階建ての洋風建築 霊沼軒(通称水晶宮)が建設されましたが、
国庫が不足していたので 1911年になっても完成せずで、
建設中止になってしまったそうです💦
雪が残っていました。
内部の柱
タイル
石の装飾
鳥
誰も住んだことのない(住めなかった)建物なのですね。
この不思議な建物を実際に見てみたかったので、
見れて良かったです(*^^*)
なお、霊沼軒(通称水晶宮)の周辺にぐるっとあるのは、
1931年に建てられた建築物のようでした。
故宮博物院の収蔵品を保管している倉庫の様になっているようです。
故宮博物院の中にあって、このエリアだけが西洋風の雰囲気をだしていました。
屋根も壁も無く廃墟のような状態なので 雨風による風化が心配ですが、
今後も残り続けてほしいです。
九龍壁から移動して、今ここ。
続く
◎最後まで読んでいただきありがとうございました(#^^#)