ぱきらの中国(河南省開封)生活

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2021年6月~河南省开封市に生息中。日常のたわいもないこと、中国情報などを気ままに書いていきたいです(*^^*)

安陽殷墟には人骨がいっぱい、古代中国の殉死・殉葬・生贄文化を考える☆安阳日帰り旅行記後編

こんにちは。。

15時現在の開封市、気温33℃ 湿度41%です。
青空が綺麗で、とても良い天気です。


さてさて、

今日は安陽日帰り旅行記後編、
安陽殷墟内で見られるたくさんの人骨について書いていきたいと思います。
人骨そのものの写真は載せていませんが、
人骨のある場所の写真は多く掲載しています。
ご了承ください。


前編はこちら

tpakira.hatenablog.com

 

 

中編はこちら

tpakira.hatenablog.com

 

 

 

 

殷墟 車馬坑


安陽殷墟博物館で青銅器や甲骨文字を見た後は、

 

 

殷墟 車馬坑にやってきました。

 

 

ここには 安陽殷墟内で出土した6つの馬車が集められているようでした。


商の時代(殷の時代)は偉い人が亡くなると、
死後の世界も その人に必要だよね ということで、
色々な物を一緒に埋めたようです。

 

こんな感じの馬車を埋めたようです。

 

 

6つの馬車には それぞれ説明書きがついていて、

 

こちらには、2頭の馬と人1人が埋葬されたと書かれていました。


馬車を動かすには 馬と 馬を操る人も必要ですよね。
一緒に埋めましょう ということのようです💦


このことは、事前に見ていた ガイドブック地球の歩き方中国に
載っていた情報だったのですが、
実際に 馬の後ろに横たわる人骨を見ていると、
なんとも言えない気持ちになってきました。

 

 

発掘された時の様子。

 

 

これは安陽殷墟博物館内にあった馬の骨ですが、
綺麗に飾り付けられて、埋められたのがわかります。

 

 

6つの馬車以外にも、 
多くの馬車(人と馬有り)が見つかっているようでした。

 

 

人骨いっぱい

 

馬車を見た後、流れにそって進むと

 

 

『乙八基址』という場所に出ました。
イヤホンからは 日本語の音声ガイドが
「宮殿のあった場所です」と 解説を始めてくれました。
(特定の場所に行くと 音声ガイドが反応してくれるようです。)

 

 

 

あの赤いポールがたっているところ辺りに 宮殿があったのかなあ。

 

 

 

と、何気なく歩き始めた時に
音声ガイドは「・・・・・・奴隷を埋めました」とさらりと解説。

 

 

 

 

こちらは、動物の骨ですが、こんな感じで

 

 

 

埋められてあった人骨も見られるようになっていました。

 

 

後でわかったのですが、宮殿のあった場所と 祭祀の場所がつながっていて、

 

201人の奴隷が首を切られて埋められたと書かれていました。
奴隷制社会は残酷だといったことも書かれていました。

 

 

人骨・人骨・人骨

 

人骨・人骨・人骨・・・・・

 

 

 

中には、武器を持った兵士のような方もいました。

奴隷や捕虜として連れて来られ 無理やり殺される人も多かったと思いますが、
殉死や生贄になることが 名誉なこととして(残った家族に恩情があるなど)
自ら志願して 宮殿を守るために埋められた人もいたかもしれません。


ここにも人骨

 

次に、甲骨窖穴展庁にやってきました。
甲骨文字が書かれた亀の甲羅がたくさん発掘された場所のようです。

 

 

こんな感じで、亀の甲羅が大量に出てきたんやな。

 

 

と見ていたら、この中にも人骨が・・・・・。
大事な資料を守るために 一緒に埋められたのでしょうか。

 


殉死・殉葬・生贄文化

 

 

最後に、殷王朝第22代王の武丁の妻の婦好さんのお墓にやってきました。

 

入口はこちら

 

お墓の内部まで入れるようになっていました。

 

様々な

 

副葬品が

 

お墓の中から

 

見つかったようです。

 

盗掘されずに、近代まで残っていたようです。

 

見学中

 

 

 

そして、竪穴式のお墓の一番奥の場所には

 

何人もの人骨が横たわっていました。


棺のようなものは無かったので、
婦好さん本人は たぶん別の場所に移されているのだと思います。


横たわっていた人骨は、婦好さんが亡くなった時に、
婦好さんのお世話係として 一緒に埋められた人達のようでした。
後で調べたところによると、この婦好墓では
16人の人骨と6匹の犬の骨が見つかったようです。

 


殉死や殉葬、生贄は、現代社会においては一般的ではありませんが、
商(殷)の時代を生きていた人達にとっては 日常だったように思えます。


こういったことは、古代中国だけに限りません。

日本も 邪馬台国の卑弥呼が亡くなった時は
100人ちかくの奴隷が一緒に埋葬されたようだし、
マヤ文明、メソポタミア文明、ペルーなどの生贄の儀式も有名です。
どの国にも殉死や殉葬、生贄の文化があるのがわかります。


殉葬が非人道的な習俗であり、人にかわりに人形を埋めようってことで、
秦の始皇帝が作ったのが西安の兵馬俑だったり、
日本の縄文土器の土偶だったりして、
おおがかりな殉葬は 次第に行われなくなってきたようでした。

 


しかし、殉死や生贄の文化は近年まで残っていたようで
夫や主君が亡くなった場合
妻や家臣が任意で自殺する場合もあれば、強制的に殉死させられたり、
豪雨を鎮めるための人柱や、城を無事に築くための人柱の話は、
日本の歴史の中でも出てきます。
インドでは20世紀にはいっても寡婦殉死が一部で行われていたようでした。


殉死や殉葬、生贄も、自分が対象となった場合を想像すると、
とても許容できることでは無いですが、
もし、子供のころから 身近でそういったことを見ていた場合は、
嫌だけど 仕方が無いのかなあといった考えに なっていたかもしれません。

 

 

 

現代の日本に生まれて良かったなあと思うとともに、
一歩 違ったら、 現代の人間も 殉死や殉葬、生贄を 
比較的簡単に許容してしまえるような気がして ちょっと怖くなりました。

 

安陽殷墟に展示されている人骨が 展示用のレプリカなのか、
本物の3000年以上前に殉死された方なのかはわかりませんでしたが、

映画や小説、漫画などで出てくる 殉死・生贄などを
より リアルに感じることが出来る場所だと思いました。

 

 


開封市へ戻ります

 

11:50  出口


安陽殷墟は宮殿部分の遺跡と、
宮殿から約5キロ離れた場所にある王様のお墓の遺跡の2つに分かれており、
70元の入場料で2つの場所を見学することが出来るようでしたが、
私達は 宮殿部分の遺跡見学のみで十分満足しました(*´▽`*)

 

路線バスに乗って

 

お昼を食べに行こう♪

 

安陽市図書館のお向かいにあった、

 

 

こちらのショッピングモールで

 

 

久々に 広東料理を食べました。

 

 

 

また路線バスに乗り

 

15:00 安陽東駅

 

 

15:45 ホームへ

 

 

安陽東駅ホームには電光パネルが設置されていて
何号車がこの場所に停車するか表示してくれていたので、
とてもわかりやすかったです。

 

 

新幹線が到着

 

乗り込みます

 

 

車窓より

 

16:32 鄭州東駅到着

 

 

乗り換え

 

 

16:59 鄭州東駅発→17:25 宋城路着(開封市)

 


開封市から安陽市は 日帰りで行くことが可能なのがわかりました。
安陽市には安陽殷墟以外にも 漢字の博物館や曹操のお墓などもあるようなので、
また 機会があれば 行ってみたいと思います🍀

 

 

 

◎最後まで読んでいただきありがとうございました(#^^#)

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